紅い青空



朝、彰人は起きられないでいた。

昨夜はあの後目が冴えてしまい明け方まで眠る事が出来なかった。日の出近くにようやく

まどろんできたと思ったが、よく考えればここの起床時間は7時半、つまり日の出から眠くなったとしても

満足に眠れるわけがなく、ただ襲ってくる睡魔と闘う為に眠ろうとしていただけという事になる。

「……と、………さい、彰人!」

ドアの向こうから声が聞こえてくる。ただし、まだ頭が覚醒していない為誰の声か判別することが出来ない。

そして何より、その声に反応することと、今自分の中にいる睡魔。天秤に掛けることもなく、答えは決まっていた。

「悪い……僕昨日あまり寝てないから…と、言う訳でお休みなさい...」

自分でも声がフェードアウトしていくのが分かる。そしてそのまま、彰人は睡魔に落ち……

「……10!」

る寸前でこの声を聞き、慌てて飛び起きた。

(ヤバイ、今の声は咲季だったのか……間に合うか!?)

「9!……8!」

カウントダウンはもう始まっている。こうなった今、彰人には一刻の猶予も許されてはいなかった。

2秒でパジャマを脱ぎ、3秒でシャツに袖を通す。

「7!……6!……5!……4!」

(もし、間に合わなかったら……やめよう、考えたくもない)

「3!……2!……1!!」

4秒でズボンに足を通し、ベルトを締める。10秒以内に着替えを終わらせるという少々人間離れした

動きに多少の満足感を覚えつつ、彰人はドアに向かってカウントダウンを終わらせるべく叫ぶ。

「今出るからそのカウントダ……」

「はあぁぁぁぁああぁああぁあぁ!!!!!」

しかし、残念な事に一瞬遅かったらしくドアの向こうから気合を入れるべき掛け声が聞こえる……

(間に合わなかった……)

瞬間、蝶番ごとドアが吹き飛んだ……その進路上にいた彰人と共に………

「ぎゃああぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーー」

彰人の断末魔がその辺り一帯に響き渡り、その日の朝を告げた。

(今日は厄日か・・・?)



「お早う、彰人。どうしたの?その顔の怪我」

ついさっき吹き飛ばされたドアを入り口の脇に立てかけた後、

霧川 咲季(きりかわ さき)は僕にそう聞いてきた。

「怪我を作った張本人がよく言うよ……大体どうするんだよ。板はまだ使えるけど

蝶番が吹き飛んでるから暫くはこのドア使えないんだぞ?」

「何言ってるのよ。ちゃんとドアが完全に壊れない程度には加減したし、そもそもこうなったのは

彰人がちゃんと起きないからでしょ。つ・ま・り、自業自得ってこと」

小さな反論を真正面から返され、彰人は言葉に詰まる。確かに咲季は彰人を起こしただけであって、

それは彰人が起きなかったからだ。それに方法こそ荒っぽかったがその目的はちゃんと達成されてい

るといえるだろう。ただし、彰人が言葉に詰まったのは正直そこではなく……

「加減って…あれだけ気合を入れといて加減したって言うのか?」

「そうよ、あの気合はどっちかというと、ドアを壊さないようにする為の精神集中だったわ」

「一体どんな殴り方したんだよ……」

「もういいでしょ、この話はおしまい。下で今孝太が朝ごはん作ってるから早く降りてきてね」

咲季は笑いながらそういうと階段を駆け下りていった。

「はぁ、なんか朝から疲れたな。ま、とりあえず僕も行くかな」



階段を下りて洗面台で顔を荒い、歯を磨いてから朝食を取るため食堂へ向かう。

さきほどのドアはどうせ盗られるものも、見られては困るものも特にないのでそのままにして来た。

(でもなぁ、あのままじゃ流石に不味いから早いうちに何とかしないと)

そんなことを考えながら食堂に入ると、もうすでに8割方揃っていた。

「お早う。珍しいな、いつもはもっと少ないのに」

いつもの席に座ると、すぐに近くにいた小学生くらいの女の子が返事を返してきた。

「彰人兄ちゃんお早う。当たり前だよ、だってあんな大きな声で起こされたらね。彰人兄ちゃん大丈夫だった?」

「え、大丈夫って?」

「だから、みんな彰人兄ちゃんの叫び声で起きたの。『ぎゃあぁぁーーー』って。どうしたの?怖い夢でも見たの?」

どうやら今日の話のネタは自分らしい。

しかも、悪夢を見たという点は当たっているのだから全否定することも出来ない。

だが、それが叫び声の原因であるという誤解はなんとしても解かなくてはいけない。

流石にこの歳になって『怖い夢を見て、皆を起こしてしまった』は洒落にならない。

「まぁ、悪夢は見たけど叫び声はそれが原因じゃないんだ。…まぁ、後で僕の部屋の前を見れば分かるよ。

 ていうか……あの叫び声、聞こえてたの?」

恐る恐るといった様子の彰人に、今度は向かいにいた男の子が答えた。

「聞こえたなんてもんじゃないって。彰人兄の声、孤児院中に響いてたぜ。ついでにその前のドーンッ!って音も」

どうやら全て聞こえていたらしい事に、彰人は落胆の色を見せる。

確かにここは彰人の家でも学生寮でもない、ここ虹の川市にある虹の川孤児院だ。

今話していた子供たちも、本来の兄弟ではないが、

みんなそんな事はお構いなしで彰人のことを兄と呼んで慕っている。

今朝、彰人のことを起こしに来た咲季は、彰人と同い年で、こちらも姉とみんなに好かれている。

「そうか、やっぱり聞こえちゃってたか……。えーと…それより孝太知らない?それに咲季も僕より早くここに来た

 はずなんだけど」

朝の騒動を聞かれたショックからようやく立ち直った彰人が何気なくそう聞くと、

食堂にいた子供たちが急に慌てだした。

「あ!そうだ……こんなこと話している場合じゃなかったんだ…」

「え?どうしたって…まさか!?」

問いかけるうちに、心当たりが浮かんで背筋がぞくぞくする彰人に、とどめの一言が下る。

「咲季姉ちゃん…台所行っちゃった。孝太兄ちゃんを手伝うって……」

「今のところまだ孝太兄の怒鳴り声は聞こえてないから大丈夫だけど……早く咲季姉を止めないと」

「分かった、すぐ止めてくる。ただ、覚悟はしておきなよ」

彰人は咲季を追って台所に入る。そこには、想像通り咲季と孝太の2人がいた。

「孝太」

「あ、彰人。やっと起きたの?もう少しで朝ごはん出来るからね」

「彰人か……炭をおかずに飯を食いたくなかったら今すぐ止めさせろ」

「大丈夫よ、ちゃんと練習してたんだから。この間みたいにきりたんぽを炭にしたような事はしないわよ」

彰人の声に2人が同時に反応した。

黒野 孝太(くろの こうた)は玉子焼きを作りながら咲季を止めるように

促した。左右で目の色が違う珍しいオッドアイの目が心なしか睨んでいるようにも見える。

「今は魚の焼き加減を見るように言ってあるが、いつ何をするか分からない」

「分かった。咲季、孝太もああ言っているから今回は……って、何してるの?」

「え?何って魚焼いてるんだよ」

「いや、魚は普通網の上かなんかで焼くと思うんだけど」

「おい彰人、何してるんだ。早く咲季を止めさせろって……何やってるんだ!」

2人の問答に割り込もうとした孝太は、そこで繰り広げられている光景をみて思わず叫んだ。

孝太は最初、手伝いたいと言う咲季に対して魚の焼き加減を見るように言ってあった。

しかし、何を思ったのか今は魚に串を指して直火で焼いている。しかも最大火力で。

「だって、いつまで焼いても焦げ目が付かないから火力が足りないと思ったの。で、それなら直火で良いかって……不味かった?」

「あぁ、マズイ。とりあえず現在進行形で火の中に放り込んである魚を見てみろ」

「え?あっ!!!」

孝太に言われて魚を見た咲季の目に入ってきたのは、もはや魚では無い炭の塊だった。

「なぁ、孝太。もしかしてこれ食べるのまた僕?」

「チビ達に食わすわけにはいかないだろう。当然俺も食わない」

「だよね……………」

「ゴメンね、彰人」

咲季と孝太の言葉に彰人は声にならない溜息を吐いた





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